龍安寺と天龍寺で感じた、受け継がれる風景
3月、家族で京都を訪れました。春休みということもあって、どこも人であふれていて、想像していた「静かな旅」とは少し違いました。しかし、そんなにぎやかな場所でも、なぜか静けさを感じる瞬間がありました。
向かったのは、龍安寺と天龍寺。
どちらもただ美しいだけではなく、そこに立つことで何かを感じられる気がしていた場所です。
龍安寺 ― 石庭が伝える「足るを知る」という感覚
人の流れに沿って歩きながら、龍安寺の石庭の前に立ちました。にぎわいの中でもなぜか視線が吸い寄せられる。不思議な空間でした。15個の石が白砂の中に絶妙な配置で置かれたこの庭は、どこから見てもすべての石が一度には見えないように設計されています。



完全を求めず、むしろ「足りない」ことで想像の余白を与えるこの庭に「足るを知る」という言葉が重なりました。
この寺を建てたのは、室町幕府の管領・細川勝元。応仁の乱を前にした時代、争いの真っ只中にありながら、心を整える場としてこの寺を創建したといわれています。言葉ではなく、構造や配置、風景そのものに何かを託したかったのかもしれません。
境内では偶然にも、元首相・細川護煕さんの書と絵に出会いました。武家文化の末裔である彼の筆致と石庭のたたずまいが、見えないところで響き合っているような感覚がありました。


天龍寺 ― 借景が語る、自然と文化のつながり
次に訪れたのは、嵐山のふもとにある天龍寺。

池のまわりを子どもと歩いていると、ぽつりと「山も全部お庭なんだね」と言いました。それはまさに、庭の背景にある自然の山をそのまま取り込む「借景」という技法。言葉では知らなかったはずなのに、景色を前にして自然と感じとっていたのかもしれません。
天龍寺は、室町幕府の初代将軍・足利尊氏が、政敵であった後醍醐天皇の冥福を祈るために建てたお寺です。争いの後に、敵味方を超えて祈りの場所をつくった尊氏の思いは、自然と人の調和を大切にしたこの庭に今も息づいているのかもしれません。
金と銀、それぞれの記憶にある風景
今回の旅では金閣寺と銀閣寺には行けなかったのですが、龍安寺の石庭を前にしていたとき、中学生のころの修学旅行を思い出しました。あのとき見た、金箔に輝く楼閣と、対照的な銀閣の落ち着いた佇まい。華やかさと簡素さ、その両方が印象に残っていました。
金閣寺(鹿苑寺)は、三代将軍・足利義満が隠居後に建てた北山殿を寺に改めたもので、富と権威の象徴としてその姿を放っています。一方の銀閣寺(慈照寺)は、八代将軍・足利義政が応仁の乱の混乱の中で隠棲の場として建てた東山殿が始まり。金箔は使われなかったものの、わび・さび、内省の美が宿る空間として今に残っています。
あのときは言葉にならなかった感覚が、今回の旅を通してようやく現れてきたように思いました。
風景が記憶を呼び起こすとき
龍安寺も、天龍寺も、思い出の中の金閣・銀閣も。そこで感じたのは、文化は言葉だけでなく、風景の中にもあるということでした。語らずとも伝わる美しさ、構えずとも心に届く。その感覚は、人の心にずっと残っていくものかもしれません。
子どもと一緒に歩いた時間も、どこかでそうした「受け継がれるもの」に触れていたような気がします。文化は静かな場所にだけあるのではなく、ざわめきの中でも私たちの中に語りかけてくる。そんな旅の記憶でした。