文さん|エッセイ/暮らしと稽古の日々

ツクルヒト


かけがえのない空手仲間の話 文さんのこと

※この記事に登場する「文さん」は筆者が長年ともに稽古をしてきた空手仲間であり、仮名です。
本稿は、編集者自身の視点から綴った小さなエッセイとしてお届けします。


ある日、私が職場で出会った文さんに「空手、やってみませんか?」と声をかけたことがありました。 それが、私たちの稽古仲間としての時間の始まりでした。

はじめから、気が合うと感じていました。 けれど、それはただの【気が合う】というものではなかったように思います。 人として大切にしたい根っこの部分が、とてもよく似ている。そう思えたことが、何より嬉しかったのです。


自分の手で暮らしをつくること

文さんは自然が好きで、家庭菜園の域を超えた畑づくりをしています。自然農を学び、なるべく手をかけず、自然の力に任せる育て方を大切にしていて、その畑にはたくさんの種類の野菜が、のびのびと育っているそうです。どれも驚くほど美味しくて、稽古仲間や先生たちに分けてくれる優しさにも、私はいつも感動しています。暮らしを自分の手で紡いでいく姿が、格好いいママさんそのもので、とても尊敬しています。

中学生のお子さんを育てながら、自分の目標だった空手の黒帯を実現させた文さん。 家庭を守りながら、自分の道にも淡々と向かい継続するその姿に、私は何度も励まされてきました。

「空手を続けてこられたのは、道場のみんながいたから」
そう話してくれた文さんの言葉に、杉山平一さんの詩『出合い』の一節を思い出しました。

砂のトンネルを掘っていって
暗い穴の行きづまりが
不意にくずれて
キラリとさしこむ光のなかに
手と手がふれあった
そんな出合いだった
きみとわたし
ーー杉山平一『出合い』(詩誌『こだはら』第35号より)

それぞれが、それぞれの道を掘り進めてようやく出会えた仲間たち。
ふと気づけばその出会いが文さんを支え、導いてくれていました。
文さんにとって道場でのつながりは、そんな「キラリとさしこむ光」だったのかもしれません。


寄り添ってくれたこと

私が双子を出産して、心も体も追いつかずに大変だったとき、文さんは迷いなく会いにきてくれました。 「無理しないでよ」と声をかけてくれたあの優しさは、今でも忘れられません。

空手から少し離れていた時期も、公園でただただおしゃべりして、大笑いした日々がありました。 あの時間があったからこそ、私はまた頑張れたのだと思います。いつでも前向きな力をくれました。文さんからは、芯の強さと心のあたたかさが伝わってきます。


穏やかな強さ

人生の中で、立ち止まらざるをえない時期は、誰にでも訪れます。 文さんにも、出産、子育て、介護、そしてパンデミックと、いくつもの大きな波がありました。 それでもそのたびに、自分のペースで空手と向き合い続けてきた文さん。「やれるだけやったから、納得して昇段審査を受けられた」と話す姿は、本当に眩しく感じました。

私はつい無理をしてしまう性格で、体調を崩すことも少なくありません。 でも文さんは、いつも自分の状態を冷静に見つめ、納得できる形で物事に向き合っています。 その落ち着いた佇まいに、私はいつも救われる思いがしています。


組手について「癖を見抜くのが楽しい」と語ってくれたことがあります。 相手の動きを柔らかく受けとめ、無駄のない動きで応じる文さんの姿に感銘を受けました。 また、かつて人前で話すのがとても苦手だったという文さんが、空手を続ける中でその苦手を克服していったというお話も、大変印象的でした。

黒帯を取得した今も、「まだ長い道の途中」と語る文さん。「好きな型? まだ言える段階にないので、これから見つけていくと思う」と話す姿に、謙虚さと終わりのない学びへの向上心を感じます。


これからも暮らしをツクルヒト

日本文化を大切にしたいという文さん。今後は、三味線を習いたい。お茶やお花も師範代になりたい。着付けも覚えたい。そして野菜作りも更に上手になり、暮らしを楽しみたい。文さんはこれからもますます素敵な日々を重ねていかれるのだと思います。

「人は歳を重ねる。だからこそ、みんなと稽古できる今が嬉しいし、このつながりを続けていきたい」

そう話す文さんと、このまち、板橋で出会えたことに、私は心から感謝しています。仲間であり、先輩でもあり、時には姉のようで、何より大切な友達。文さんと出会えたことは、私の人生にとって、かけがえのない贈りものです。